愛知県豊田市にある矢作川漁業協同組合では、矢作川の水況や最新のアユ釣情報も提供しています。

漁協ブログ職員のプロフィール

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 「ジャミ」とはチビ鮎のことで、遡上してきても最後まで大きくならない、小さいままで一生を終えてしまうという、そういう鮎のことをジャミというようであります。
正式名称は知りません、長老達がジャミ、ジャミと言っているので、そうなんだろうという、そんな「あやふや」なものであります。

 ところで、昨年漁協のホームペーシが、「ひどい」というご意見があり、それでは今年はすこしリニューアルして、かつ欲張ってブログというものに挑戦してみようということになり、皆で意気込んでみたものの私もそうですが、年寄りはパソコンが苦手で、結局何か私一人に責任を負わされている感じなのであります、みんなズルイなぁー。
だいたい私自身、ブログなんて言葉も意味も知らなかったし、何せ初めてのことなんであります。
さらに毎日、水況情報も提供しなければならない、毎日ということは大変な負担で、ホームペーシなんてもののおかげで、鮎釣りに行けない「恨みつらみ」を一人でブツブツ言っているだけですから、皆さんはもちろん気にしないで下さい。

 さて、「ジャミ」の言葉の意味は先程述べました。
そして、ブログというのは、いったいどこまで書いていいのか、それもよく判っていない。
しかし、元矢作川漁協 豊田支部選出の筆頭理事「井沢忠夫」さんのことを書こうと思っています。
井沢さんは、本人も奥さんも、もう既に他界していて子供もいない、家が絶えてしまっている状態なので、お許しいただけるだろうと、こちらが勝手に判断し、そう思っている次第であります。

 「茶坊主」で下町の役員、ご隠居さんたちのユニークで変人の多いことをお話しましたが、その中で極めつきというか、一番の奇人、変人と言えば、間違いなく理事の井沢さんで、通称「井商」(イショウ)さんと言う人、その人であります。
鉄を扱っている会社の社長さんでありますが、私からすればただの野蛮人、野獣人なのであります。
私事でなんですが、私の母親のすぐ上の兄貴が東京にいまして、その人と井商さんが昔からのポン友でありまして、そんな関係から、私だけが井商さんのことを、おじさん、おじさんと呼んでいました。
そして、運の悪いことに、私の家からほんの2〜3分の所に彼の家があったのであります。

 井商さん始め、矢作川の豊田支部役員の皆さんは、舟に親鮎と書いた小さな旗を付け、釣り師の人たちに親鮎を提供していました。
その後、井商さんは自分の家に井戸を掘り、親売り店を開業したのですが、井戸水の溶存酸素が少なく、鮎がフラフラになってしまうので、やむなく高橋の下に小型バスを仕立てて、そこで親売りを始めました。
ところが、そこの店の番人に、何故か学校の先生のOBばかりに頼むものだから、どうも調子が悪い、
買いに来る人は、「アッ 先生・・・・・」みんな直立不動の形で買い求めることになる。
元先生も 「あー、君は何だな、仕事サボってこんな所で遊んでいては、何だな マトモな生き方は出来んなぁー」
「ハァ、先生その通りでございます、ところで先生、親鮎を2匹ばかり・・なんとか・・ハァわけて頂き・・・」
親売り場が矯正、反省の場になり、とても鮎釣りという雰囲気ではありませんでした。

 さらに、井商さんは何を思ったか、昔 久澄橋に「ヤナ場」があったことを思い出し、思い出したと思ったら、あっとい間に「ヤナ場」を得意な鉄骨で作ってしまい、営業を始めてしまった。
ところが夜、電気をつけると、川なので大量の虫が寄ってきてビールの中に入るわ、とても落ち着いて鮎を優雅に食するという雰囲気ではありませんでした。
井商さんという人は、思ったらすぐ行動を起こす人で、普通の人ではないことは確かであります。

 井商のおじさんは大正10年生まれ、ぼくの親父は大正5年生まれ、家も近く、家自体が親戚付き合いをしていたこともあって、ずいぶん私も影響というか、迷惑を受けました。
彼、おじさんの事を話すと、題材はいくらでも思い浮かびます、今思いついただけでも、 「満州旅情」
  「川に下駄」 「鮎の舞い」 「せせらぎ鮎」 「明るい農村」 などなどで、どれもこれも人に誤解を受けそうなものばかりであります。
その中でも、何とかお話できるのが、「ジャミ」なのであります。
どうも、ずいぶん前置きが長くなってしまい、間延びしました、ご勘弁を。

 12月は師走に入り、クリスマスソングも流れ始めた頃でありました。
おじさんが 「木戸君、明日の日曜日にそろそろ鮎釣りにいくゾ!」
「エッ、おじさん、おじさんは季節を・・・・・日本には四季という季節があって・・・・・・・・」
「明日、午前3時に俺の家へ、車で迎えに来い、イイナ!」
このクソ寒いのに、何で鮎釣りに・・・・ブツブツいいながら午前3時に井沢宅へ迎えに行くと、「オォッ来たか」 とか 何とか言いつつ、 なんとサルマタ(ふんどし)一丁で玄関に出てきた。

この野蛮人め・・・・・・・・・。

次回「ジャミ」まで

木戸でした。















 ずいぶん涼しくなりました。明日4日は、久しぶりに川の様子が見たいので釣りに出かけようかなと思っています。
さて、漁業組合が現在の平戸橋町波岩に移転したのは、昭和44年であります。
それ以前は挙母(ころも)の下町、竹生町にあったので、その関係か下町の商売屋、老舗の旦那衆に組合員が多い。
舟着場は、高橋と久澄橋にもありましたが、下町の長老というか漁協役員の人たちは、家から近いので「上野山土場」に係留していたのであります。
その大正、明治生まれのご隠居さん達は、冬は鉄砲、夏はアユ釣りと言う具合に暇でしょうがないという感じでありました。
そこへ私が飛び込んでいったものですから、暇潰しや使い走りに都合がいいわけであります。

 とにかく、台風や大雨が来た日には、夜中に命綱を持って川へ飛んで行き、沈んだ舟は引き上げ、舟に溜まった雨水は「かい出し」、夜明け皆さんが巡視に来る頃には、舟が整然とキチンと並んで浮いていなければならない、それを全部私一人でやるのであります。
ねぎらいのお言葉は、「頑張れよ、そのうちお前よりアホッがきっと入ってくるから、それまでの間の辛抱だゾ!」 そういわれ続け、とうとうこちらが還暦を迎えるまで一人も現れませんでした。
舟のこぎ方を聞いても、面倒なのかコチョコチョと話す程度で、「見て覚えなさいと言わんばかりに」あまり教えてくれない。
ある時、「お前、ああいうふうに、瀬の中で、こぎ竿一本で舟を止メ、止メながらタバコに火をつけることが出来るか?」それが出来てようやく一人前だゾ、といわれ猛練習したが、どうしても出来ない、それでずいぶんタバコを浪費してしまった。

 よく釣れるある日曜日、喜んで釣っていると、フワァーと上から一杯の舟が音もなく風のように流れてくる。
そのうち、その舟がぼくの舟の近くにイカリを下ろして、キチンと隙間なく隣へピタッとつける。
「エッ、何だ、何だ!!」
そして、その舟の主が言うには。

「そう カリカリ 釣らんでよろしい、 うん 今から抹茶をたてて進ぜよう」

「はぁー?」
よくみると、その舟には桐の箱の茶道具に、熱い湯のポットが乗っている。
その方は、高橋に係留している、有名なお茶屋のジイ様で、通称「お茶ジィ」と呼ばれている竹生町のご隠居様であります。

「あのー、今日ぼく休みで・・・・いま釣れていて・・・・時間が・・・・・なんともはや・・・・・・」

「バカ者!・・ゆっくり茶を飲み・・人間を豊かにせい・・うつけ者めが」
「ハハァー、ありがたき幸せに存じます」

(クソッー、この暑いのに、ナンデ、川のド真ん中で熱いお茶を・・・・・・・・)

「では、・・よろしいかな・・・・、人生とは・・・・・・・・・・・・」

もちろん竿を置き、神妙な顔で聞かなければならないのであります。

 とにかく、私の近所の漁協役員で、かつ老舗のご隠居様たちは、変わったユニークな長老が多かったのであります。

「茶坊主」は、お茶で「落ち」がつきましたので、次回以降は「ジャミ(その1)」「その2」そして「芸者釣り」をお送りする予定でいます。

木戸でした。

 今年のアユ釣りも、いよいよ終盤に向かいつつあります。ありますが、川に人がいなくなっても、あししげく川に通うと、思わぬことに遭遇することがありますから、アホッになって川に出かけましょう。

 そこで、話はもちろん川のことですが・・・・・・・・・・・・。
ずいぶん若い時に重い竿を持って、あまりにも夢中で川に浸かっていたものですから、とうとうギックリ腰になってしまいました。
あぁー、これで俺はアユ釣りが出来なくなってしまうのか・・・・・・という危機感から相当無理をして、舟釣りに転向しました。
しかし、そのことが私の人生の大きなアクションというか出来事になってしまったのであります。

 当時、ぼくの給料が8万円そこそこなのに、舟はイカリも入れて33万円もしました。
世間が、セッセとお金を貯めて自動車を買おうとしているのに、ぼくは舟を買ってしまったのであります。
それで、女房が小さな子供を抱え、カンカンに怒ったことを覚えています。
アユが遡上してきて、さぁ解禁だという頃は田植えの時分と合致していて、どこの家でも自分の仕事の他に百姓などが忙しくて、優雅にアユ釣りをするナンテいうのは、ご隠居様か、家の手伝いをしない穀潰しか、遊び人というのが風評、相場でありました。
そういう時代でありましたので、ぼくみたいな若僧に舟を買う力もなければ、ましてや舟の世話をする暇もないのでありまして、したがい私の若さでアユ釣りの為に舟を持とうという人はいませんでした。

 その頃、今でいう高橋と豊田大橋の中間に「上野山土場」という水圧のあるキツイ瀬がありまして、その瀬の右岸側、つまり豊田市の下町側に漁協の長老達が、自分達で舟着場をこしらえ、舟を係留していたのであります。
とにかく私は、舟の「こぎ方」とその作法を学ばなければなりません、そしてそこへ自分の舟を係留させて頂く他に生きる道がありませんので、長老達の家を一軒一軒酒を持ってご挨拶に回ったのであります。
「おぉっ、喜多町の木戸君か、それはいいことだ、よく決断した。ヨキにはからえ」
「ハハッ、誠にお言葉、ありがたく至極に存じ上げます」
なんだか、明治、大正生まれの人と話をしていると、何故か時代劇風になってしまうのであります。

 そこで、快く仲間に入れて頂いたのでありますが、後で気付くとナントそこはご隠居様方の巣窟の場でありました。
知らず知らずに、私はご隠居様方の茶坊主に仕立て上げられていくのであります・・・・・・。

次回、茶坊主、その2まで。

木戸でした。


 
 10月の声を聞くと、以前はよく夜ガリに出かけました。
夜ガリという音は、何か夜バイみたいで、あまり気品高い釣りではない。

 夕食を済ませ、テレビばかり見ているとアホッになるぞと、もっともらしい事を家族に言って、コソコソと出かけて行く。
それで服装のことですが、夜は布のタイツだけでは少し寒いので、何かいい工夫はないものかと考え、よく静岡や浜松の釣り師の連中がタイツの上から半ズボンをはいているのを思い出した。それでその格好にした、そうしたが、やはりあまりまともではない。

 豊田大橋の駐車場は、午後8時に閉まってしまうので、歩いていくより仕方がない。
夜は暗いし、歩いても7〜8分だから、まぁイイか!
そこで出かけようとしたら、愚妻が何て格好しているの!そんな格好をして街を歩いていると不審者に間違われて、通報されるわよ!・・・・・・・ウルサイなぁー・・・・口論になったが押し通した。
ところが、夜の12時に川から上がって堤防の上に立った所で、パトカーが止まり3人も降りてきて職務質問を受けた。

警察 「今、この辺で暴走族が来ませんでしたか?」 といいつつライトを照らしながら私を観察する。
私 「サァー、知りませんなぁー」
警察 「ところで、あなたは何をやっているんですか?」
私 「夜ガリ」・・・・・・・・・・・? 言葉が通じていない。
警察 「その長いものは何ですか?」
私 「サオ」・・・・・・・・・・・。
警察 「夜ガリ」って何ですか?
だんだん面倒になってきた、「アユ釣り」と答えたら、ますます怪しい、こんな夜遅くアユ釣りするバカがいるものかと言う、ところがいるんですねー、コノ広い世の中に、そのバカが。
仕方がないので、ビニール袋の中に入っている、大きなナマズとウナギを見せたら、ウワァといってびっくりして後ずさりした。
フン、ワカッタか!ザマミロ、と思ったが、まだ彼らは疑っていた。

 家はどこですか?「あっち」と答えたら、じゃあ一緒に行きましょうと言ってきたので、えーっ、今度はこちらが後ずさりした。
喧嘩をして出てきたので、「こちらお宅のご主人ですか?」と警察が家の女房に聞いても、あいつは間違いなく、知らない人と答えるに決まっている。ヤバイ!
ぼくのウロタエぶりを見て、今度は警察が攻勢に出てきた、
仕方がないので、面倒がらずにアユの漁法のこと、家庭の事情のこと、服装のこと、などていねいに、ていねいに答えて、やっとご理解を賜った次第であります。

 H20年の今年からは、ガリ禁止、3年がかりでやっと組合員の理解を得ましたので、今年からは服装のことを考えなくていいのであります。

木戸でした。








 8月30日に「矢作川水系漁業協同組合連合会」の設立を無事終えることが出来、ホッとひと安心をしました。それで、9月9日やっと一ヶ月ぶりにアユ釣りに出掛けました。
先に当組合の職員である神谷三郎君が先行しているので、そこへ合流させて頂く事にした。
その三郎君に、何故この時期コノ場所を選んだのかを聞いたところ、朝、車が渋滞していたので面倒になり、ココに入ったと言う返事だった。
成る程、そういう場所選びもあるのか、と何故か納得してしまった。

 ところで、竿を出して釣り始めてみて驚いた、何とすぐ下流には平成記念橋の全容が鮮やかに見えるではないか。
その昔、この橋の計画立案から設計、監理監督まで手がけ、それこそ手塩にかけて建設した当時の記憶がよみがえってしまった。
今、自分自身が釣っているその場所は確か、橋を建設している時に矢作川に申し訳なくて、大きな石を7つ入れた覚えがある、もちろん現在その石は跡形もない。
それで、その石にまつわることを思い出した。

 スイスの公衆トイレの中にコンドームを売っている自販機があった、へぇー!トイレの中にこんな自販機があるのか?面白そうだから一つ買ってみようとコインを入れたのだが、何故かブドウの形をしたオモチャが出てきた、何だこりゃ?と眺めていたら、生物学者のミヒャエル・シュットッカーという呼びにくい名前で、それにいかにもナヨナヨとしたしぐさの女性的なオカマ野郎が、ヒャーヒャーと笑いながら、それは種無しブドウで、お前は種がないから大丈夫だ、と言ってまた大声で笑っていた。
コノヤロー、それからは彼のことを、オカマ、オカマと呼んでいた。
どうせ彼も僕のことをドイツ語で、種無し、種無し、と呼んでいたに違いない。

 ある年、そのオカマ野郎が日本の僕の所へやってきたので、平成記念橋の歩道から上流の方を見下ろし、どうだ、川の中の瀬にあるあの石の配置は素晴らしいだろう、と自慢をした。
ところが、オカマ野郎が言うのには、おかしいこの風景この川の現況で、あんな大きな石が存在するはずがない、景色に違和感がありとてもヒドイと批判する。
アホッ、お前は生物学者のくせにアユの生態が解っていない、こんな素晴らしい風景がなぜ解らないのか、・・・・・・・・・・・・・・・・。
かくして、オカマ野郎と種無し野郎の議論のバトルが始まってしまった。
議論では彼らは馴れているので、どうもこちらの側に分が悪い、それでオカマ野郎に負けてしまってからは、場所をわきまえずにむやみに川へ石を入れることを自重するようになりました。

 下流に平成記念橋を眺め、あの大きな7つの石はどこへ消えてしまったのだろうか、オカマ野郎はその後どうしているのかなぁ、などと一人ニタニタ思い出し笑いをしながらアユを釣っていたので、周りの釣り師たちが気味悪がって、どこか消えてしまった。
なんとか、小サイズながら20匹ほど釣れたので、三郎君のおかげで本日はとてもいい釣りが出来ました、感謝、感謝。

木戸でした。

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